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教員コラム 第18回
「外資系投資ファンドとコーポレートガバナンス」



経営学部 教授
木下 徹弘
 夏休みに日頃忙しくて読むことができない娯楽小説を何冊か読んだ。その中でも『ハゲタカ(上・下)』(講談社/真山仁著)という題名の外資系投資ファンドをあつかった経済小説が面白かった。米系投資ファンド運営会社の日本人社長が、バブル崩壊直後の日本を舞台に、企業の買収劇を繰り広げるというストーリーだ。実際の企業がリネイムされて登場し、バブル崩壊後の不良債権処理はこんなふうに行われたのかと思わせる。
 私がこの本を読んでみたかったのは、今年7月に米系投資ファンドのスティール・パートナーズがブルドックソースにTOBを仕掛けた事件に興味を持ったからだ。この買収攻防において、ブルドックソースはポイズンピルと呼ばれる買収防衛策を打ち出した。ブルドックソースは、全株主に保有株1株につき3個の新株予約権を発行するが、スティール・パートナーズに付与する新株予約権は23億円で買い取ることによって同社の保有する株式割合を引き下げることをもくろんだ。スティール・パートナーズは新株予約権発行の差し止めをもとめる仮処分を申請したが、東京地裁および高裁は、ともにこの申請を棄却した。高裁は判決のなかでスティールを「企業価値と株主共同の利益を毀損する濫用的買収者」と認定し、ブルドックが正義であり、スティールが悪者という世論どおりの構図をつくりあげってしまった。
 しかし、日本企業が善玉、外資系ファンドが悪玉と捉える構図はバイアスのかかった捉え方だと言わざるを得ない。そもそも日本の企業経営者と外資系投資ファンドとでは、企業観がまったく異なっている。外資系(とくにアングロサクソン系)の投資ファンドにとって、企業とは単なるキャッシュを生み出す機械と言えるだろう。法的には会社は株主のものであり、株主は自分のお金を増やすために会社に投資するのであるから、本来会社はキャッシュを効率的に増やす経済的システムであるべきだ、と考えるわけだ。これに対して、多くの一般的な日本人は、企業は社会的な付加価値を生み出す共同体と捉えている。付加価値とは、従業員や経営者の給料や賞与、企業利益(株主価値の増大部分)、金利および税金から構成されるわけであるから、企業は、従業員、経営者、株主、債権者などのステークホルダーから構成される共同体と考えられているわけだ。たしかに、こうした企業観を比べたとき、金儲けだけを考える外資ファンドよりも、企業は社会的厚生を高めるための仕組みととらえる日本的な企業観の方が、はるかに哲学的で品格が高い考え方のようにも思える。しかし、こうした共同体というコンセプトはおよそ日本人という仲間内だけに通用する考え方であるし、実際のところ「共同体の利益」という曖昧模糊の大義名分に甘えて多くの経済的資源が浪費されてきた。
 グローバルな経済活動・投資活動が活発化する中で、外国人投資家の動向が日本の株式市場の相場を決めるといっても過言ではない状況になりつつある。現在、外国人投資家の日本株の保有比率は3割弱、売買代金に占めるシェアは5割を超える程までになっている。こうした状況にあって、「日本の会社は共同体である」と居直って種々の意思決定をなすのは危険である。たしかに、従来日本企業は共同体であって、それが日本企業の競争力の源泉のひとつであった。また、企業を共同体として維持することは経営者の社会的責任の遂行として評価されてしかるべきことだったと思う。しかし、グローバルな資金調達と投資が日常化する現在、「日本企業は共同体」と言い張ることは、利益が上がっていない日本企業の経営者の言い訳にしか聞こえない。いま日本企業に課されている課題は、共同体を維持しながらどれだけ効率的、持続的にキャッシュを生みだす組織に変身させていけるかである。

 

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