龍谷大学
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龍谷大学経営学研究科ビジネス(MBA)コース集会 生産システムサロン

第15回(2002年6月1日)

国内/海外事情

(1)「日本生産管理学会について」:大阪学院大学 企業情報学部 助教授 石倉弘樹博士
生産管理学会では、製造業だけにとどまらず、農業やサービス業を含め、広範囲の経営や管理に関する研究結果が発表されている。創設は1994年、会員数は500名弱と比較的新しく規模も小さい学会であるが。毎年2回全国大会が開かれ、5つの支部もそれぞれ独自の事業を行なっており、活動は盛んである。2008年には北米やヨーロッパの関連学会と共同で日本での国際会議が計画されている。理科系と文系、両方から研究者や技術者が集まっていることと、大学関係者だけでなく、企業に所属している会員が多いことがこの学会の特徴であり、幅広い視点からの意見交換ができる。今年度から全国で14の研究部会が立ち上がり、会員間の共同研究が始まっている。関西支部の研究部会は次の3つである。1.生産・流通の最適化システム、2.ベンチャービジネス-成功するビジネスモデル研究-、3.ネットワーク国際分業生産システムの構築。 生産管理学会の連絡先: ishikura@utc.osaka-gu.ac.jp
(2)「最近の中国金型事情」:(有)金型経営研究所 代表取締役 岸本善男氏
製造業のすべてが中国に移ってしまうのではないかという“中国脅威論”が高まっている。これは一部の限られた調査からの発言や報道が“中国の総ての実情” と誤解された結果であるといえよう。工業化社会の基礎産業であり、工業のバロメータと云われる金型産業に関する2年間(14回/180日)の実態調査(JETRO(国際協力事業団)-裾野産業支援事業)を通じて知り得た中国の実態は以下の通りである。
1.中国金型産業統計から見た実態:1999年実績に拠ると、総生産額3,700億円と日本の1/4。1人当たり生産額80万円と日本の1/20(金型人口50万人)。輸入額は 1,100億円で、国内生産額の1/3にあたり、金型輸入国である。この10年間の成長率は15%/年と日本の1965-75年当時の状況と似ている。専業度は20-25%で、兼業度が圧倒的に高く、日本とは逆の構造である。金型加工設備や品質等全般的な状況は、日本の20-25年前と近い。
2.中国金型企業のABC区分:工業化の進んだ沿海州(東部地域と呼ばれている華南、華東、華北、東北)の調査から、中国の金型産業ABCの3つの区分で捉えると理解しやすい。 ・Cグループ:華南地域に多い香港や台湾との合弁企業で、金型も生産するが成型や組み立て等、一貫生産をしている企業群である。多くは委託加工方式で、生産額は推定で全中国の5%程度と見られている。 ・Bグループ:青島のハイアールに代表される中国各地に在る大手家電、自動車企業の金型内製部門で、全国で100-200社程度、社数では1%であるが、平均的な企業に対し5-6倍の生産能力があるため、全中国の5%強の生産量と考えられる。 ・Aグループ:残りの90%近くがいわゆる日本の金型産業と比較できる中国の金型産業群で、機械設備の悪さや品質問題など技術力の立ち遅れに加え、経営力に多くの課題を持っている。
3.その他の状況と日本の対応:中国には経済発展格差の南北問題や、進展のない国有企業の南北問題など、社会不安を起こしかねない多くの火種が内在している。他方対外的にも、WTOには加盟したものの人治国家的性格が強く、一向に無くならない偽造品問題等多くの課題を抱えている。
広い国土と沢山の人口を有する隣国の中国を、“脅威論”と云う対立の構図だけで考えるのではなく、棲み分け、国際分業など共存共栄の道を全産業レベルで考えるべきときが来ている。そのためには、より正しい実態認識が必要である。
第15回記念特別講演
「企業倫理(Business Ethics)について」:龍谷大学 経営学部 教授 戸上宗賢先生

昨今、あまりにも非倫理的・非道徳的な企業、行政、政治家の行動が目立つ。このため、企業や官僚組織、そして政党等の有している倫理と道徳に疑念が持たれており、同時にそのあり方にも多くの関心が向けられ始めている。

倫理は「人倫」と不可分離の関係にあり、東洋の思想としては、儒教にその基本理念(概念)を認めることができる。また逆にヘーゲルはその哲学的体系において“Sittlichkeit”の概念、その語源としてのSitteを重視した。儒教とへーゲル哲学のどちらにおいても、倫理・道徳の前提は、人間の「共同体(態)」における最も相応しい生き方の探究にある。つまり倫理観、道徳観を欠落させた社会では、集団の成立に関わる原理は変化し、人倫にもとる行為が日常化してしまうといえる。

経済活動とその倫理性および道徳性の関係については、M.ヴェーバーが「プロテスタントの倫理と資本主義の精神」を始めとする多くの著書の中で考察を行っている。彼の学説によると、いわゆる近代資本主義は、反営利的な禁欲倫理が社会心理となっているような地域でしか発生しえなかった。つまり倫理観の高いプロテスタントは、神から与えられた天職として自分の職業活動に専念し、富の獲得が目的でないので無駄な消費をせず、隣人愛にかなう事柄のためにお金を使おうとした。このため、人々に必要な製品やサービスを生み出し、競争に勝ち残っていった。またプロテスタントのそうした行動は結果として、これまた意図せずして、合理的産業経営を土台とする、歴史的にまったく新しい資本主義の社会機構を作り上げていくことになった。

日本では経済活動とその倫理性および道徳性の関係は、どのように考えられてきたのであろうか。浄土真宗中興の祖としての蓮如上人の「真宗」教化において、宗教倫理と世俗倫理および信仰と世俗内禁欲がとりあげられており、この中に職業倫理の萌芽が見られる。江戸時代、京都室町の呉服屋で働いた後、「石門心学」の教えを広めた石田梅厳は「商いは正直に行えば、すばらしい行為である」と考え、儒教の教えと経済倫理を関連づけ、封建制下に商人道を説いた。ここに日本でも倫理観の高い近代資本主義の考え方を見つけることができる。

「日本的」な社会倫理を明確にするには、「日本的」な行動の原理を見つけ出さなくてはいけない。特に「日本的」な組織行動の原理が問題になろう。これには津田真澂教授の「状況倫理という価値観」の吟味が示唆を与えてくれると思われる。

企業・経営の倫理性獲得のための処方箋はどのようなものであろうか。最も大切なことは、社会のあらゆる分野、人間生活の全領域にたいする企業・経営の影響力の重大性に気づくことである。企業行動のすべては社会全体から注目の的になる。換言すればその「社会的責任」がいかに大きいかということを認識しないといけない。そして責任の重大性は倫理的自覚を基礎として、その上に成立する。

企業倫理は今まさに我々自身の当面する課題であり、極めて実践的な解決が要請されている。それが生起する場面はきわめて生々しい、そして、きわめて人間臭の漂う世界である。道徳、倫理は、実はそのような内容の問題であることを改めて認識せざるをえない。

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